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万葉集解読法覚書

―― まえがき ――
万葉集の万葉仮名について考察します.

ただし上代特殊仮名遣は間違いであると仮定しています.
また、この本はWEBサイトのパブーで公開しました電子書籍を加筆修正して再編集したものです.

 

―― 第1話:万葉集の意味 ――
なぜ万葉集万葉集と云うのでしょう.

よく聞く理由は『長歌や短歌など、言の葉を万代に亘って伝える事を表現している』と云うものですが、本当でしょうか.疑わしく思っています.

それでは、万葉集の意味を考えてみたいと思います.

『万』は、『多く』と解釈します.
『葉(えふ)』は、『様(やう)』のことであると考え、『手本』と解釈します.
『集』は、『あつめたもの』と解釈します.

よって万葉集とは、万『様』集であり、『多くの手本を集めたもの』を意味していると思います.そして、その手本とは、『漢字をつかって大和言葉を書くときの手本』であると思います.

つまり、万葉集は『大和言葉の漢字表記例文集』であると思います.公家や僧侶などが万葉集を見たり、写したりして万葉仮名の使い方を覚えたのだと思います.

それでは『葉』の字を使用した理由について考えてみます.

『集』の字に注目してみると、意味は『木に沢山の鳥が集まる』です.そして、鳥が木に集まっているならば、そこには葉が茂っているはずだと考え、洒落た感じを出すために、『様』の代わりに『葉』を使用したのだと思います.

まとめますと、『漢字を使って大和言葉を書くために、多くの手本を集めたもの』と云う意味を表すために『万葉集』と云ったのだと考察します.
(了)

 

―― 第2話:青丹吉の読み方 ――
万葉集の枕詞『青丹吉』の読み方を考えてみます.

青色と赤色が混ざると紫色になるので、『青丹』と書いて『むらさき』と読ませたいのだけれども、そのままでは『あおあか』とも読めてしまうので、『吉(き)』と云う文字を送り仮名として送る事により、『青丹吉』を強制的に『むらさき』と読ませているのだと思います.

また『青丹吉』が奈良に掛かると云うのは、奈良の土地は藤原一族の領土なので、藤原の土地であることを色によって形容して、敬意を示したのだと思います.しかし、藤原と云う字を直接書くのは恐れ多かったのでしょう.そこで、藤の花色にかけて『紫色の奈良の土地は藤原一族のものである』と云うことを遠回しに表現するため、奈良について言及するときに『青丹吉』を付けたのだと思います.したがって、その読み方は『むらさき』です.その後、更に遠回しに、若しくは、既に読めなくなっていたので『青丹吉』を『あおによし』と言うようになったのだと思います.

参考例として『青丹吉』の入っている歌を2首、示します.

まず原文を引用しますと、
3236 空見津 倭国 青丹吉 常山越而 山代之・・・(後半省略)
797  久夜斯可母 可久斯良摩世婆 阿乎尓与斯 久奴知許等其等 美世摩斯母乃乎
引用を終わります.

『青丹吉』を『紫』と解釈して私訳してみます.
3236 空を見つつ 大和の国の 紫の(藤原一族の) 奈良山を越えて 山城の・・・(後半省略)
797  悔しかも かく知らませば 紫の国の内を(筑紫国のうちを) 悉く 見せましものを

以上より、繰り返しになりますが、『青丹吉』の読み方は『むらさき』であると思います.

注:アラビア数字は万葉集の歌番号です.
(了)

 

―― 第3話:哭の読み方 ――
歌番号373を例にとって、『哭』の読み方について考えてみます.

引用しますと、
373 高鞍之三笠乃山尓鳴鳥之止者継流恋哭為鴨
引用を終わります.

前半の読みは省略して、最後の4文字『恋哭為鴨』の読み方ですが、哭は喪の略字なので『も』と読むのが定説になっていますので、『恋もするかも』となりますが、本当でしょうか.疑わしく思っています.喪を崩して書いて、哭になるとは思えません.

それでは、何と読むのか考えてみます.

哭くときは『ウォー』と哭くので、『哭』は『を』と読むのだと思います.

従って、『恋哭為鴨』は『恋をするかも』だと思います.
(了)

 

―― 第4話:味酒の読み方 ――
歌番号17を例にとって、『味酒』の読み方について考えてみます.

引用しますと、
17 味酒 三輪乃山 青丹吉 奈良能山乃 山際 伊隠万代 道隈 伊積流万代尓 委曲毛 見管行武雄 数々毛 見放武八万雄 情無 雲乃 隠障倍之也
引用を終わります.

この歌は、後半に『見放武八万雄(見さけむ山を)』とあるように、額田王が『山を振り返り見ながら』近江に下るときに作った歌です.当然この時、額田王三輪山も振り返って見ているはずです.すると、『味酒』を『見さけむ』と読めば、歌の前半と後半で意味が上手く繋がると思います.

従って、『味酒』の読み方は『見さけむ』だと思います.

それではなぜ、『見放武八万雄』に『武』が入っているのに、『味酒三輪乃山』には『武』が入っていないのでしょうか.

それは、『む』の発音が理由だと思います.

ローマ字で書けば、『味酒三輪乃山』は『mi sa ke m mi wa no ya ma』となると思います.

このとき、『m』と『mi』は結合されて『mmi』となり、すると『m』が1つ消えて『mi』となります.つまり、さけむの『む』の発音は、三輪の『み』に吸収されてしまうので『武』を入れる必要がなかったのだと思います.

一方、『見放武八万雄』は『mi sa ke m ya ma o』となるので、『m』は残り、『む』の発音を示すために『武』を入れる必要があったと云う事だと思います.
(了)

 

―― 第5話:暁跡の読み方 ――
歌番号1263の『暁跡』の読み方を考えます.

引用しますと、
1263 暁跡 夜烏雖鳴 此山上之木末之於者未静之
引用を終わります.

暁は『あく』もしくは『あか』と発音し、跡は『あと』と発音すれば、『暁跡』は『あくあと』となります.

つまり『暁跡』は、カラスの鳴き声を書き留めたものだと思います.

私訳ですが、現代語で示せば、
1263 アカァーと、夜烏鳴けども、この山上の梢の先は未だ静かです
と云う感じです.
(了)

 

―― 第6話:茜刺日の読み方 ――
歌番号169を例にとって、『茜刺日』の読み方について考えてみます.

引用しますと、
169 茜刺日 者雖照有 烏玉之 夜渡月之隠良久 惜毛
引用を終わります.

『茜』の『あ』、『刺す』の『さ』、『日』の『ひ』で、『茜刺日』は『あさひ』と読むのだと思います.

私訳ですが、現代語で示せば、
169 朝日は 照るといえども、新月では 夜渡る月は隠れている 残念だなぁ
のようになると思います.

『あさひ』の漢字表記として、朝日と旭は現代まで生き残ったけれども、茜刺日は平安時代までに消えてしまったと云う事だと思います.

また、『烏玉之』を新月と訳すことに就いては、パブーで公開しました電子書籍『リトルプレス小豆A6、茜町春彦著』で考察していますので、興味のある方は参考にして下さい.
(了)


―― 第7話:草枕の読み方 ――
歌番号3134を例にとって、『草枕』の読み方について考えてみます.

引用しますと、
3134 里離 遠有莫国 草枕 旅登之思者 尚恋来
引用を終わります.

草枕』の意味は『徒歩(かち)』であると思います.

『草』を『かや』の『か』と読み、『枕』を『ちん』の『ち』と読めば、『草枕』は『かち』と読めると思います.

私訳ですが、現代語で示せば、
3134 里を離れて遠くに有るわけではないが、徒歩の旅と思えば、なおさら恋いしいなぁ
と云う感じでしょうか.
(了)


―― 第8話:飛鳥の読み方 ――
歌番号78を例にとって、『飛鳥』の読み方について考えてみます.

引用しますと、
78 飛鳥 明日香能里乎 置而伊奈婆 君之当者 不所見香聞安良武
引用を終わります.

『飛鳥』の読みは『ひとり』であり、意味は『独り(一人)』であると思います.

私訳ですが、現代語で示せば、
78  独りで 明日香の里を 置いて去れば 君がいる辺りは 見ないのかもなあ
と云う感じでしょうか.

『飛鳥』を『ひとり』と読んで意味が通りますので、これで問題ないと思います.

では、なぜ『飛鳥』を『とぶとり』と読むのか、について考えてみます.
奈良時代に入ると、藤原氏大和朝廷の実権を握りました.藤原氏に逆らうと、皇親長屋王ですら抹殺されてしまうほどの時代でした.そのような時代状況の中で、『藤原不比等』の『比等』を連想させる『ひと』の発音が、藤原氏に対する不敬になることを避けるために『飛鳥』の表記を用いて、更にへりくだって『とぶとり』と読んだと推測します.
(了)

―― 第9話:足引乃の読み方 ――
歌番号721を例にとって、『足引乃』の読み方について考えてみます.

引用しますと、
721  足引乃 山二四居者 風流無三 吾為類和射乎 害目賜名
引用を終わります.

鳥は飛ぶ時に足を引くので、『足引乃』は『飛鳥』のことを指していると思います.婉曲的な表現であり、意味は『独り』だと思います.

前話で述べましたように『飛鳥』は『ひとり』と発音できてしまいますので、『藤原不比等』の『ひと』を避けて無礼にならないようにするには、『とぶとり』から更にへりくだって『足ひき』と表現して遠慮したのだと思います.


私訳ですが、現代語で示せば、
721  独りで山に居れば、風流なことなんて無いよ、私のする業を咎めないでくれよ.
と云う感じでしょうか.
(了)

―― 第10話:歌番号1495の読み方 ――
歌番号1495の読み方について考えてみます.

引用しますと、
1495 足引乃 許乃間立 八十一 霍公 鳥 如此聞始而後 将 恋可 聞
引用を終わります.

前回お話しましたように『足引乃』は『飛鳥』でありますが、ここでは『飛んできた鳥』と解釈してみたいと思います.

『八十一』と『霍公』は、その鳥の鳴き声だと思います.『八十一』は『クックゥ』の戯れ書きで、『霍公』は『カッコウ』の音を当てたのだと思います.

何度も音声を繰り返し聞いていると、前後が引っくり返ることがあると思いますが、この文章はその引っくり返りを述べたものだと思います.
カッコウカッコウカッコウカッコウ、・・・、コウカッ、コウカッ、コウカッ・・・

同じ鳴き声を何度も聞いているうちに、『カッコウ』が『コウカッ』に引っくり返り、そして『コウカッ』は『こふかっ』であり、『こふかっ』に漢字を当てると『恋可』、つまり、鳥の鳴き声が『恋するべし』と聞こえるようになったと云う事だと推測します.

私訳ですが、現代語で示せば、
1495 飛ぶ鳥が、木の間に立ち、クックゥ、カッコウと、このように聞こえ始めた後は、まさに恋可(こふかっ)と聞こえる
と云う感じでしょうか.

歌番号1495で鳴いているのは郭公なのかどうか分かりませんが、鳴き声がそのように聞こえる鳥だと思います.例えば、クークーと鳴く鳩かも知れません.
(了)


―― あとがき ――
万葉集は、秀歌を集めた歌集などと云うことではなく、文字を使って日常語(大和言葉)を書き留めるための様々な漢字の用法を集めた実用的例文集だと思っております.