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天皇号と日本国号についての仮説(ベータ版2.0)

《対象読者》
日本書紀に興味のある人.

《概要》
天皇号と日本国号の由来について推理してみました.


天智天皇天武天皇は兄弟じゃないような気がします》
日本書紀に於いて、天智天皇天武天皇の父親は舒明天皇と云う事になっています.

しかし、天武天皇は斉明皇極天皇の連れ子だったような気がします.天武天皇の実父は高向王ではなかろうか、と思っています.

尤も、高向王は用明天皇の孫のようではありますが、出自がよく分かりません.高向と云う名前から推測するに、百済系渡来人のような気がします.

もしかしたら天武天皇の実母は斉明皇極天皇ですらないかも知れません.すると天智天皇天武天皇は赤の他人と云う可能性も否定できませんが取り敢えず、斉明皇極天皇と前夫の高向王の間に生まれた漢皇子が、天武天皇だと仮定して話を進めます.

そう考えると天智系と天武系の仲の悪さが納得できるのではないでしょうか.また、天武朝には官人が集まらず、皇親政治を行なわらざるを得なかったのも理解できます.


《なぜ大王号を天皇号に変えた》
当時の有力豪族は天武天皇の出自をはっきり認識できていたと思います.したがって、天武天皇は実力で権力を握ったけれども、実力だけでは有力豪族から「大王」とは認めてもらえず、「大王」を称することが出来なかったのだと思います.

天武天皇は「天皇」と云う称号を新たに考案して、自称するしかない状況に置かれていたのだと思います.


《では天皇号をどのようにして考案したのでしょうか》
高向王が百済系渡来人とすると、天武天皇百済系の血統に連なっていると云う事になります.

そこで祖先の出身地に因んで、地名と大王号を合成して天皇号を作ったのだと推測します.

まず地名の百済から百の文字を取り出して、その「百」を「一」と「白」に分解して、「一」と大王の「大」から「天」の字を合成し、次に「白」と大王の「王」から「皇」の字を合成して、「天」「皇」という称号を考案したのだろうと思います.

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《国号はどのようにして考えたのでしょうか》
大和国に住んでいる人が、大和国を太陽の昇る方角にあると表現するでしょうか.自分の居場所を方角で表現するなら、中央とか中心でしょう.日本に住む人が日本の事を日本と呼ぶ事はないと思います.

日本人が日本のことを日本と呼ぶようになるのは、日本書紀が書かれた西暦8世紀頃だと思いますが、その日本書紀によると、6世紀ごろには任那に日本府が存在しています.日本のことを日本と呼ぶようになるより前に、朝鮮半島に日本府と云う地名が存在していたことになります.つまり日本府が先にあり、その後に日本と云う国号ができたと云う事です.

この日本府を眺めた場合に、太陽の昇る方角だと見える所は何処かと考えると、そこは百済だと思います.百済から見て太陽の昇る方角にあたるので、任那百済人が住む地域のことを日本府と呼んでいたのだろうと推測します.

天武天皇の先祖は任那の日本府からの百済系渡来人であるとして考えると、天武天皇は自分の出自を表す「日本」をわざわざ国号に決めて、大和の豪族たちに対抗したのだと推測します.


《天武朝が途絶え、天智朝に戻っても、天皇号が続いた理由》
天武朝が途絶え天智系に王朝が戻った時に、なぜ桓武天皇は称号を「天皇」から「大王」に戻さなかったのでしょうか.

桓武天皇の母親の高野新笠がたまたま百済系であり、百済系と云う事では天武天皇と同じなので、桓武天皇は「天皇」号を自分にピッタリだと考えたと推測します.

これが、大王号に戻さずに、天皇号を使い続けた理由だと思います.

如何なものでしょうか.
(了)

―― あとがき ――
天皇号と日本国号についての仮説(ベータ版2.0)
著者:茜町春彦


投稿サイト「パブー」で公開した作品を大幅に加筆修正しました.
初出:
「リトルプレス桜蝦01号」2016年12月8日発行